メア・スパイラル (作:道楽山鉄茶(どらやまてっさ)) 私はソフト開発会社に勤めるプログラマー。キャリアはたった一年だが、ハードな仕事を続けたおかげでいつの間にか、自分で言うのも何だが、優秀なプログラマーになっていた。優秀であるが故に仕事を沢山ぶち込まれ、それをこなしているうちにますます優秀になっていく。はたからは辛そうに見えるだろうが、同情されるのは嫌だし、むしろ私はこの環境が気に入っている。この世界に入った限りは、頂点を目指してみるのも良かろう。その為にはどんな苦労も厭わないつもりだった。 しかし、最近、どうも調子が悪い。今日もマシンの前に座り、帳票系のプログラムを作ろうとしているのだが、頭がボーっとして何の言語かわからない。モニターにはソースコードの一部がボヤーっと映っていて、print… という感じに見えたから高級言語なのだろうと思ったが、 『Cかな? BASICかな? それともフォートランかな?』 と、いまいちはっきりしない。 『まあいいか』 考えていても埒が明かないので、とりあえず print 文にリテラル文字を埋め込んで、どんな帳票になるのか試してみる事にした。 …… コンパイルエラー …… モニターにメッセージが流れた。 『修正しなくっちゃ』 ↑キーを押してカーソルを送ろうとしたが、カーソルは動かない。 『おかしいな。接触不良か?』 いろんなキーを押してみた。 すると…… 宇宙船カーソル号が発進した。 適当なキー押下に反応して、上下左右・奥・手前、三次元空間を自由に動き回る。 速度は速いのか遅いのか微妙で、上下左右の移動は一瞬で終わるのだが、奥・手前への移動は、ゆったりとしている。きっと奥行きが相当あるのだろう。 今回のミッションは、奥の奥、『前ページ』と云われるステージに行き、ソースコードを修正する事である。 この素晴らしい性能のカーソル号さえあれば奥の奥へは直ぐに行けるはずだった、しかし少しだけ問題があった、それは、操縦士である私がどのキーがどの方向に対応しているのか理解していない事だった。 操縦法が分からないのに飛行は順調だった。 ずいぶん奥に来ていて、目の前には『前ページ』への入口が見えていた。 周りを漆黒の壁に囲まれた中央の丸い窓から淡い光りが漏れている。 あの窓をくぐれば『前ページ』に到達するのだ。 このまま直進すれば、カーソル号は壁に激突するコースだった。丸い窓は左上の方向にあったので、←キーと↑キーを同時に押してみた、すると、カーソル号は急旋回して、あっと言う間に手前の手前、初期の位置に戻ってしまった。 「ふ〜ん……」 振り出しに戻され、ショックを受けたが、同時に馬鹿馬鹿しくなった。 真剣になるから失敗した時のショックが大きいのだ、だから、 『こうなったら、どうなってもいいや』 私は、めちゃくちゃにキーを叩き始めた。 突然、画面を埋め尽くす大きな宇宙船が現れた。 『敵だ!』 と直感した。 されるであろう攻撃をかわすために、キーを叩きカーソル号を動かしまくった。どのキーを押せば攻撃できるのか分からないが、いろんなキーを叩いているうちに弾みで攻撃出来る期待もあった。 そうしているうちに、ピカッとカーソル号が光った。 『攻撃砲を発射したのか? それともダメージを受けたのか?』 分からなかったが、他にすることが無く、ひたすらキーを叩き続けた。 何度も何度もピカッと光り、『これは、いったかも』と手ごたえを感じていたら、轟音と共に敵巨大宇宙船が消滅した。 『やれやれ、やっとクリアーできたか』 これで念願の『前ページ』に行けると喜んでいたら、また画面を埋め尽くす巨大な宇宙船が現れた。 『なんやねん……』 もう、キーを叩く元気は無かった。 敵船の攻撃を受けてカーソル号が爆発するのを黙って眺めていた。 …… Do you want to continue ? (Y/N) …… モニターにメッセージが表示された。 『馬鹿馬鹿しい』 私は席を立った。 使っていたマシンの裏側に回り込み、そこに居る仲間に、 「言語は何だっけ?」 と聞こうとした。すると質問するより前に、 「ああ、お前か。お前のソース、修正しておいたからな」 主任から声が掛かった。 「え!、ありがとうございます。これで残りのプログラムはあっと言う間に仕上がります」 修正ソースを見ればどんな言語か分かる。 それさえ分かれば、こっちの物だと思った。 「納期、知ってるか?」 「はい、十日ですね」 「ああ、急げよ」 何故だか納期が今月の十日であるのは覚えていた。 しかし今日が何日なのか知らないし、十日まであと何日あるのか分からない。おまけに何本のプログラムを作らなければならないのかも分からない。 とにかく、今は眠くて頭がボーっとしている。 寝て、シャキっとしよう。 そう考え、仮眠室に行こうとした。 「寝てる暇、無いぞ」 主任の声が背中に突き刺さった。 『ああ……眠いのにな……』 がっかりしながら振り向き、何処かの席に着こうとマシンを物色した。 一人の先輩が袖をまくり上げ、土色の腕を剥き出しにして、モニターの上に置いてある箱に手を突っ込んでいた。 箱の中を覗くと、コインが数枚入っており、うち一枚が指で挟まれ、今まさに摘み上げられようとしていた。 先輩をよく見ると、腕だけでなく顔も首も、土色になっていた。さらによく見ると、土色は積もりに積もった垢の色だった。 コインを摘む指先は小刻みに震えている。 モニターを見詰める表情は涙顔になっているが、目から涙はこぼれていない。そのかわり、顔に積もった土色の垢に涙痕が白く深く刻まれていた。 先輩が見詰めているモニター画面には、 …… Do you want to continue ? (Y/N) …… …… Y …… …… Please Insert Coin …… と、表示されていた。 「うううう……」 声を絞り出しながら、摘んだコインを料金ボックスに投入した先輩は、 「ああ……給料が無くなってしまう……」 と、うめいた。 『あ!、そうか、思い出したぞ』 この会社は完全時給制で、長く働けば働くほど給料を多く支給してくれる。ただしダラダラと働くのを防止するために、有効キータッチ数とかコンパイル成功率とかをカウントし、成績が悪いとサボっているとみなしその時間は給料を支給してくれない。その上、コンパイルエラーを出すと、修正画面に戻るためにゲーム代金五千円のミニゲームのクリアーを要求する。頭だけでなく反射神経もシャッキリさせる目的らしいが、社員にとっては大迷惑な話である。 ドツボに嵌まっている先輩の隣に座り、私はプログラム仕様書を眺めた。 が、どうも調子が良くない。 目が霞んで、仕様書がはっきりと見えない。 『寝れば頭が冴えるのに……』 主任の方をチラッと見ると、私の考えが読まれたのだろうか、主任は私を睨んでいた。仕方が無いとあきらめて、目の前のマシンでログインすると、 …… Do you want to continue ? (Y/N) …… と、いきなり表示された。 『え?、何で?』 プログラムの修正は主任がしてくれたはずなのに、どうして私が修正画面に戻らなければならないのか? と疑問に思ったが、そうか、コンパイルがまだなのか、あの主任がそこまで面倒見てくれる訳が無い、と納得した。 修正画面に戻ってコンパイルをしなければならない。 操作方法も分からないのに、高い金を払ってゲームをクリアーしなければならない。 どうしょうかと、マシンの前で頭を抱え込んでしまった。 「おい……。おい……」 誰かに身体を揺さぶられ、目が覚めた。 「大丈夫か?」 と、覗き込む顔に見覚えがあった。 「あ? 課長?……」 「心配したぞ。丸二日間寝込んでいたからな、もう二度と目覚めないかも、と皆で心配したぞ」 「え?」 辺りを見渡して分かった。どうやら私は仮眠室に居るようだ。 それにしても丸二日も寝込んでいたとは、 「私、どうしたんでしょうか?」 と尋ねても、課長は小首をかしげて、 「君は、ちょっと疲れていたのかな?……君より私の方が疲れているんだけどね」 と、冷たい返事。 「もう睡眠は十分だろ、そろそろ仕事に戻りなさい」 課長に促され、私はマシン室に戻った。 確か、眠くて調子が悪かったはず。 十分に睡眠をとったのだから、優秀な私に戻っているだろう。 仕様書を手に取り眺めてみた。 …… ○▼#△●×■+◎▲=▽□★÷! …… …… #△★□●→■!+○×÷◎▲▽▼ …… …… 〜 …… …… Do you want to continue ? (Y/N) …… と、訳が分からない仕様書だった。 『ああ……まだ夢でも見ているのか……それとも、寝足らないのか……』 私はマシンの前で頭を抱え込んでしまった。 …… 「彼の状況は、どう?」 課長が医務室を訪れ、看護士に尋ねた。 「この人ですか。また、第五階層になっちゃいました」 苦々しい表情で看護士が答えた。 「ありゃりゃ、また一個、行っちゃったの〜。大変だね、彼」 「目覚めたり寝込んだり……この人、面倒だな……」 「まあまあ、そう言うなよ。月末までこんな調子なら、放り出すから。もうちょっとだけ面倒見てよね」 私は、夢の中で眠り込み、夢を見て、さらに眠り込み……の、第五階層目に居るらしい。 目覚める度に階層が浅くなるので、五回連続で目覚めれば現実に戻れるのだが、途中で眠れば階層が一つ深くなる。 いつから眠り始めたのか分からないが、ずいぶん長い間、寝たり起きたりを繰り返しているような気がする。 ……ぁぁ……また、落ちていきそうだ…… (メア・スパイラル、完) |